【敗戦の日までに読んでおきたい】早坂隆 ペリリュー玉砕 




ペリリュー玉砕という本を読みました。

このパラオ諸島にあるペリリューという島。

少し前に上皇陛下が慰霊のために訪問されたことが記憶に残っている方が多いはずです。

この本の帯に書かれている言葉。

「戦死者10022名。最後に残ったのはわずか34名。」

1万という言葉に衝撃を受けます。

一方、米軍でも海兵隊史上最悪の戦いといわれています。

米軍の戦死傷・行方不明者約8000名といわれます。

海兵隊の指揮官は上陸前に、ペリリュー島の攻略は3日間や2日くらいですむかもしれないと予想していました。

実際には73日間の激戦です。

最強と言われた第一海兵師団は戦力の損耗が激しく後退し、陸軍歩兵師団と交代することをやむなくされました。

玉砕後も日本軍兵士達の抵抗は終わりません。

組織的な抵抗が終わっても終戦後2年間ほど、洞窟の中に籠った兵士達のゲリラ戦は続きました。

この平和な島でなぜお互いにとってこんな惨い戦闘が起こったのか。

今を生きる人間として、知らなさすぎるのではないでしょうか。

ペリリュー島を守備していたのは、水戸の歩兵第二連隊。

満州に駐屯していたのを南方に引き抜かれた現役兵の精鋭です。

その部隊を中川州男大佐が指揮していました。

関東軍の精鋭達が米軍の精鋭達と血みどろの戦いを起こしたことになります。

オレンジビーチという浜は米軍側が作戦上そう呼んでいたビーチですが。

日米の兵士達の流した血で赤く染まったからオレンジビーチと呼ばれたという話があるほどです。

元々、パラオは日本は第一次世界大戦後に国際連盟からパラオを含むミクロネシア(南洋群島)の委任統治が認められいた地域です。

戦争中に日本はペリリュー島に大滑走路を造りました。

戦争の大局がアメリカに傾き、マリアナ諸島のサイパン、テニアン、グアムを米軍が攻略し、日本の絶対国防圏の内側に入った米軍は次いでフィリピンを攻略目標にします。

フィリピンを攻略するためにペリリューの滑走路が必要になりました。

今までの南方戦線では「水際撃滅作戦」がとられ、上陸してきた米軍に対して日本軍が「バンザイ突撃」をかけて優勢な敵の火力に撃滅されるというパターンを繰り返していました。

中川大佐は島内に深く洞窟を掘り、複郭陣地を作って敵を内陸へと引き込みながらこちらの兵力はできるだけ温存しつつ敵の戦力は減らしてゆくという作戦をとります。

その戦いぶりに、昭和天皇が毎朝、「ペリリュー島は大丈夫か」とご下問なさったそうです。

あわせて11回ものご嘉賞もあったそうです。

同じ日本人として知っておいたほうがよい戦いです。

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